現実要素濃すぎフォトリアル

2022-06-24 | からatode.net | ファイル: ゲーム - 持論各論.

ゲームのフォトリアル化ね。
日本ではあまり好まない人は多いし、「視認性が低い」「汚い」「地味」「ささいな違和感も気になるので作りこみに金も人も取られてしまう」「アニメテイストのキャラを入れるとマネキンぽくてキモイ」などよく指摘される。


一般論は抜きにして、個人的にフォトリアルゲーに感じる不満は「現実」に引っ張られすぎること。
いまどきの大作は藤子不二雄が言うところの「ちょっと不思議」、リアルな現実にちょっと非現実を混ぜ込むのが主流になってしまった。
ベースは現実世界がモチーフになっていて、人物、風景から物理法則まで地球でもおかしくないゲーム世界。そこにモンスターやら魔法やらトッピングする方式。
この作り方だと、ゲームの中なのに現実成分多すぎ。
登場キャラクターが人間に似ていると、行動パターン、会話、シナリオ、わずらわしさまで現実に似てしまう。フォトリアルに限らないけど、フォトリアルは特にそうなる。


ゲームの中くらいは、現実世界を忘れた知らない世界、楽しいだけの世界を構築して欲しいのよ俺は。
人間型キャラクターが主人公というだけで、行動方法や制約、限界設定手段が現実の人間に引っ張られてしまうから好きじゃない(特殊性癖)。
マリオ程度は許容しないと逆に表現の幅が狭まるが。
マリオはいつまでも炎の海に浮かんだ動く床の上をぴょんぴょんしていて欲しい。マリオオデッセイのニューヨークステージは、いよいよマリオまで現実に引っ張られたようで残念。


藤子不二雄「ちょっと不思議」方式が広いユーザー層に受け入れられる、売れるのは良くわかる。
マニア素養もない、ゲーマーでもない素人が大作(複雑なゲーム)を受け入れるには、現実要素の比重を高めるしかない。人はパッと理解できないものには飛びつかない。地球的価値観で理解可能な風景(山とか城とか洞窟とか)で、登場キャラクターも人間タイプなら世界観を理解できた気になる。実に受け入れやすい。


そこまで面倒くさく考えているのは自分くらいだろうが、最近インディーゲームが盛り上がってるのは、大手ゲーム製品の現実世界比率が増えすぎて”未知の魅力”に欠けるせいだと思ってる。根拠はない。
でも、任天堂以外の大手がみんなフォトリアルに走ってくれれば素晴らしいことなんだ。
大手が取りこぼす隙間が広がるのだから。
大手に同じ発想でゲームを作られたら負ける。インディーゲームにだって大負けするから変わらないがな!


  • 全ての投稿は一般論ではなく完全主観の独断偏見であり「いや違う / お前が知らないだけ / 例外が沢山あるぞ / その要素よりこっちの方が重要 / 言ってることが矛盾してる / 人それぞれだろ / 作りたいもの作るだけだろ」etcは無限にあるし、それ承知の上だから突っ込まれても困る。


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