情報量の少なさは心地よい

2022-07-30 | からatode.net | ファイル: ゲーム - 持論各論.

アニメは人気コンテンツだ。実写では作るのが大変な宇宙や異世界や戦争物も人気だけど、実写でもすぐ撮影できそうな日常系アニメも人気だ。サザエさんの時代から。
理由は幾つもあるだろうが、自分がアニメを好きなところは情報量の少なさだ。
実写やリアルなCGは情報量が多い。とくに意識しなくても、見慣れない風景であれば見たものを解釈しようと、どこにどんな重要な情報があるかと脳は勝手に働くから疲れる。
記号的な絵作りによって脳が解釈しやすい、伝えたい情報を得るのに負担が少ないアニメ絵は目と脳が疲れないので心地よい。


ゲームは3Dになって脳の負荷が高くなった。現実と違いゲーム画面は2Dなので目から入る情報は上下と左右しかない。なのに3Dゲームは奥行情報を理解するようせまってくる。奥行情報は脳が頑張って生成するしかない。2Dと比べると大幅に負担増だ。
そのあたりは意識の自分ではなく無意識の自分の役割なので、意識の自分が疲れたと感じることは無いだろうが。無意識の自分は疲れたと主張することはなくても、大変なのか心地よいのかは伝わる。

2Dゲームでも今どきはとても書き込まれて美麗だし、色んな情報を画面から伝えてこようとする。ステータス、装備、敵との相性、自分の行動の効果etc.
※ここでは画面の絵作りの緻密さも、ゲームがプレイヤーに伝えようとする情報もどちらも情報量としている。
脳の快/不快とは別軸で、脳は情報量が多い=価値が高いとも認識する。見た目が寂しいと見劣りする。
商業ゲームであれば、価値が高いから選んでもらえる、時間やお金を投じてもらえるのだから緻密さやリアルさは増す方向ばかり。
あえて白黒の2色にしたり、アーティスティックな間引いた表現に挑戦するのは、個人のセンスを押し出したインディーゲームくらいだ。


アニメは受動的なメディアなので、緊張したくない、リラックスできるといった脳の心地よさにも価値がある。
ゲームは能動的なメディアなので、脳をフル回転させるのが当然という前提があり「情報量の少なさ」に価値は見出されない。

世の中が情報過多なゲーム一辺倒になるのは商業的に仕方ない。
脳の情報処理は慣れだから、ゲーマーは特に負担を感じていないだろう。
でも普段ゲームしない人からすると、ゲーム画面を見ただけで「自分には無理」と思われてないだろうか。
本来であればゲーム業界はタコ壺化している状況だけど、おもいっきり間口を広げて入門者を拾っている任天堂のおかげで表面化していないだけじゃないか。
情報量の少ないメジャーゲームが世の中には必要だけど、それを任天堂が一手に担っている。


また別の話。

近年、ゲームを取り巻くプレーヤーが変わった。
昔はゲームを作る側、遊ぶ側の二者しかいなかった。
今は「ゲームを遊ぶ配信者を見る視聴者」という第三者が爆発的に広がった。ゲームは遊ばない。見るだけ。
ゲーマーではない層もゲーム配信は見ている。非ゲーマー視聴者からすると、情報量の多すぎるゲームは何をやったのか、何がキーになったのかよくわからない。
視聴者とドキドキを共有しやすいホラー、脱出、人狼あたりが人気あるようだけど、ポップでわかりやすいゲームも人気あるよう。つまり間口の広いゲームの時代がもう一度来るんじゃないか?<言ってみただけで信じちゃいない。


画面の情報量とは別の話。

音の情報量にも同じ意味を感じている。リッチな生音はあらゆる面で優れているわけでは無く、自分はPSGやFM音源あたりの方が適度に情報量が少なく脳に快適。SCC音源大好き。
それただのお前の好みだろ、と言われればその通り。


  • 全ての投稿は一般論ではなく完全主観の独断偏見であり「いや違う / お前が知らないだけ / 例外が沢山あるぞ / その要素よりこっちの方が重要 / 言ってることが矛盾してる / 人それぞれだろ / 作りたいもの作るだけだろ」etcは無限にあるし、それ承知の上だから突っ込まれても困る。


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