「自分が作りたいものと体育の授業」に書き足していたら増えたので2つに分けた。
前編ゲームと体育の授業は、体育の授業も今時のゲームも全人類向けではなく、適性のある人向けだなという話(そうだっけ?)
良く言えばゲームの水準は向上した、悪く言えばタコ壺化したというなら、タコ壺の外ってなによ?の話。外は無限だからそのほんの一部。自分が見たいものだけ。
ここから先は完全に個人の感想。何がストレスになるか、気持ち良いか、人によって真逆だから。別の意見があるならそれがあなたにとっての真実であり正論ね。
自分は、運動もアクションゲームも脳死でだらだら遊ぶのが気持ちいい。
気合を入れて向上心をもってプレイするゲームもいいけど、世の中そればっかり過ぎない?
(普通のゲーマーには脳死でだらだら遊べるゲームが多数あって、おれが下手だから体育的面倒さを感じている可能性も98%くらいはある)
難易度の問題だけじゃない。難易度が低くても、自然で丁寧なチュートリアルや導入編があっても、攻撃や武器の種類が豊富、アクションが多彩とかプレーヤーの選択肢が多いだけでストレスなのよ。間違った武器を拾っちゃいけないとか。
「プレーヤーの選択肢は1万通り」をウリにするゲームがあったら、最善手以外の9999手は劣る選択ってことじゃん?何が最善手になるかはプレーヤー次第?なおさら面倒くさい。それを探るのが面白いんだろって押し付けなのだろうが、「もっとも効率の良い答えを最初から知りたい」今どきの効率厨向けでは無くない?攻略サイトで最適解を調べる手間を増やしただけでは?
※1「いや、こういう反論が」は大量に思いつくが当然スルー。個人の主観であって一般論でも正論でも無いのよ。
※2 おれのゲームに「こんな要素を追加したらもっと面白くなりますよ」といってプレーヤーの選択肢を増やしかねない提案をしてくる奴は思想敵。
義務感とか苦行とか「これは最善手ではない間違ったやり方かも」といったストレス抜きに、スノースポーツ・マリンスポーツのようにただ滑るのが楽しい、乗るのが楽しいだけなのが本当のレジャーじゃん?スキーとか練習が必要なスポーツは若干体育系統だけど。
自分の理想は、成長を楽しむゲームではなく、ただの娯楽としてのアクティビティ。
じゃあスノースポーツ・マリンスポーツをそのままコンピューターゲームに移植すれば成長抜きで楽しめるのか?というと、間違ってるようでちょっと合ってる。
リアルなスキーやジェットスキーをそのままゲーム化すると、操縦の難易度を上げたり、トリックを決めて点数を稼いだり、順位を競って上位を目指したり、そういうストレスを与える方向に突き進んでしまうが、そんなもの俺は求めてない。
スキーをゲーム化するならうまくターンできた気持ちよさとか、ジェットスキーならうまく波に乗れてジャンプできたとか、気持ちいい部分だけ実装すればいいじゃん?それだと最初はいいけど10分遊べば飽きるって?それが目指すとこなのよ。商業的な企図がないなら、5分楽しんで終わりでちょうどいい。
商業作品の制約~コンテンツの消費時間で書いた。
それってカジュアルゲームじゃん?とも思うが、気持ちいいだけのアクションゲームは案外少ない。あることはある。でも趣味嗜好の世界なので全然不足だ。
趣味嗜好の世界は、イラストでも音楽でも動画でも小説でも、自分が好きなジャンルの作品が100個あったとして、でもその中で本当に気に入るのは1,2作品だったりするから。
それよりパーティーゲームが近い?Fall Guysいいよな。でもな、パーティーゲームは一人じゃ作れんのだよ。
無ければ自分で作ろう。
プログラマ界では最も基本とされる開発動機。
自己顕示欲や承認要求、自分の理想を形にしたい自己実現欲もあるけど、プログラマが最も力を出せるモチベーションは「無い。だったらおれが作ろう。」だと決まっている。(おれが決めた)
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