商業意図抜きの趣味の作品を指す言葉として”フリーゲーム”と呼ぶのに違和感がある。
英語でfreegameで検索したらFree to Play、Play for Freeの商業ゲームばかり。
かといって英語で商業意図のないゲームを指す言葉も無いようだ?
アメリカのゲーム公開サイトitch.ioには趣味で作られた凄いゲームも多数あるけど、全体としては価格のついたゲームがメイン。
趣味と商業を別物と考える自分が古いのだろうなあ。
日本でもPixivにイラストを上げて課金も身近になったし、小説家になろうも商業化の例は多い。
自分もfreegameタグは使う。「ゲームは有料or課金あり」と固定観念を持ってる人もいるだろし、無料であると理解してもらうには便利だろう。
英語のサイトだと「ゲームは巨大産業になり、ゲームとは様々な職種の人々が大勢で分担して作るものになった。趣味で作ろうなんてナンセンス」なんて意見も見かける。プロを目指す本気のワナビーだけでも大勢いるのだから片手間でやっても、という言い分だろう。
かつての映画はそんな状態で、映画産業は大きくなり、プロは職能集団でハイクオリティな作品を作るようになった。素人の自主製作映画とは天と地ほどクオリティーの差が広がり、素人映画は「見るのも苦痛」と言われた。
それはプロの映画と同じような体験規模を素人が目指したから。
土俵を変えれば勝負も変わる。
動画投稿サイトの時代になり、素人制作動画がプロ以上の人気を得る時代にもなった。「映画とはジャンルが違う」と言われるだろうが、自分は「制作者の思いを込めて作った動画」という点で映画も投稿動画も同じプラットフォームだと思ってる。
100巻続く長編小説と数ページの短編小説は比較対象ではないと思われるだろうが、マンガや音楽と比較すれば「同じプラットフォーム(小説)に属する」のと同じ。
音楽なら、素人の「歌ってみた」も、カラヤン指揮のベートーベンも、同じ音楽というプラットフォームなのと同じ。素人の歌ってみたの方が人気を得ることもある。
素人映画はダメだったのに、なぜ素人動画が人気を得たかというと、少人数で素人ならそれなりに、自分に見合ったスケールで、自分の土俵で作ったからだと思う。
ゲームも映画と同じだなー。
商業ゲーム並みの体験規模、つまり数十時間のプレイ時間と、長時間遊んでも飽きないための多彩なフィールド、大物量のシナリオ、全く異なる攻撃手段を用意しプレイ感に変化をつけ、短いスパンで自分の成長や学習効果が実感できる褒賞設計、長く遊んでもらうコレクション要素としての大量のアイテム・装備品。
そんなものは商業でしか作りこめない。そっちの商業的土俵に乗ったら負けというか、商業映画と同じ土俵に乗った自主製作映画と同じ?
結局、工数が限られるならどう割り切るか。という一言を書いてるだけなのに文章長いよ>おれ
ここまで書いておいて自分で否定する。
勝ち負けは人気や収益で計るものとは違うか。2時間の自主製作映画を作って最後まで見てもらえずとも、作ること自体が目的なら完成させれば勝ちだしな。
IKEAの椅子でも買ってくる方が大正解でも、自分で椅子を設計して木材から作るのが楽しいんだ、DIYとはそういう趣味だ。と言われたらそりゃDIY派の大勝利で間違いない。
商業ゲームはプロ集団の業務成果だとしても、同じようなものを自分でも作ってみたいという気持ちはわかる。自分にはそういう気持ちは無いけど。(じゃあなんでわかるんだよ)
自分自身のフリーゲームのイメージは先にこっちでまとめてた。
成長を楽しむVSアクティビティを楽しむ
今の商業では「気持ちいいだけ」のアクションゲームを作ることはできない。壁というストレスを作り、壁を乗り越える楽しさが商業作品の基本構造だけど、フリーゲームならストレスなんて用意する足枷はない。
有名になりたい、自作ゲームにハマってもらってバズりたい、動画配信映えしたい、となると商業作品と同じ基本構造を目指すことになるだろうけれども。。
と書いたけれども、昨今のカジュアルゲームのアクションゲームにはそういう物もあるよなー。結局それってカジュアルゲームのことじゃん?と言われると否定のしようがない。
「ハイパーカジュアルゲームを作って一山当てよう!量産しろ。数うちゃ当たる。」みたいなゲーム愛の無いものと一緒にされると業腹だけど、カジュアルゲームにももちろん愛のある秀作ゲームもある。
カジュアルゲームの中にも更にいろんなジャンルがあって、自分はアーケードスタイルが好きって程度かもな。
コメントは締め切りました。