「自分が作りたいものと体育の授業」に書き足していたら増えたので、前半をこっちに持ってきた。
体育の授業は「ほらほら体を動かすことは楽しいだろ?サッカーとか野球とか覚えてみんなでスポーツすればもっと楽しいだろ?」のポジティブさに溢れている。言ってみれば運動が得意な上半分の民向けで、運動が苦手な下半分は置き去りだ。
かといって下半分の民も本質的に運動が嫌いな訳じゃない。他人と比較されるとかレベルアップを強要されるとかの体育要素が無ければ楽しい。
※以下、ゲームとはアクションゲームを指す(このブログは全てそう)。
成長を楽しむVSアクティビティを楽しむなど他でも触れているが、現代のゲームは成長がベースになっている。自身のスキルレベルや知識の向上を目指す、それを楽しむ。ゲームと体育の授業は同じだな。適性がある人を夢中にさせるのは簡単だが、苦手な人に面白さを伝えることこそ難しい。
ゲーム、体育、楽器演奏、運転操縦あたりは無意識の自分を成長させる趣味だからみな共通していそう。
スポーツやゲームを趣味としているのは苦手意識を持っていない人だけど、本当は下手な人でも楽しめる。他人と比較されたり、協調を求められる要素さえ排除すれば。(対戦プレイや、ネットワークで一緒に遊ぼうとかは無い方がいい)
とはいえ世のゲームは苦手ではない人向けに設計されているし、今時は基礎を習得済みが前提になっている。チュートリアルがあってもゲームの共通基礎は習得済みが前提だ。普段ゲームをやらない人、苦手な人には無理。基礎の基礎は任天堂に丸投げされてる。
1980年代、コンピュータゲームそのものの普及期はちょっと違った。子供から大人までみんな初心者スタートなのだから当然だ。アーケードゲームの存在感もあって、まるっきりゲームを知らない人でもとりあえず1ゲームやってみようと思わせる超シンプルな売れ筋人気ゲームが沢山あった。アウトランやアフターバーナーもそう。
どんな趣味でも、最初はすごく間口が広かったのに、知識と経験をためた参加者が増えたりお作法が確立するに従って細かいところにこだわったり、他の参加者にも一定以上のレベルを求めたり、いわゆるタコ壺化する傾向がある。今のゲームもそうだなあと自分は感じてる。タコ壺自体が全世界を覆う超巨大なタコ壺だからみんな気にしてないだけで。
一般ゲーマーはタコ壺化ではなく「ゲーム全体の水準向上」と捉えているだろうし、表裏一体だから正解だ。
野球でいえば、投げる打つ捕るが出来ること(全くの未経験者には難しい)、基本ルールを理解していることが野球という遊びに参加する最低条件。子供時代なら友達や学校や親を通じて習得するチャンスは多いけど、大人になるとハードル高い。仮に全く新しいスポーツが急速に普及してきたとして、大人はよっぽど興味がある人しか参加しないだろな。
野球が毎年ルール変更されたり、「野球Ver.2です」と新しい遊び方を提案されたら、マニアは喜ぶしついてくるかもしれないが、そのたびに振り落とされる人もいてタコ壺化するだろう。
ゲームはそんな面がある。ゲーム実況が流行るのも、ゲームは好きだけどついていけない的なニーズがありそう。
今でも特に音ゲーで超シンプルでわかりやすい大ヒット作が出てくることはあるけど、それも続編が出るたび複雑化したり難易度上がったりするんでしょ?とは思ってしまう。
タイトルだけ変更した後半学習と成長というタコ壺の外のゲームを作ろうへ続く。
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